インターネットコミニュティにおける人との距離
私はとある小規模なオンラインゲームユーザーで、twitterでそのゲーム専用専用にアカウントを作り、それに対して呟きあっている…という数十人程度のコミニュティに参加しています。
約6年ほど前からですが、当初は個人的な情報のわかるプライベートなことや、読む人を困らせるような鬱々とした書き込みはほどほどに、男女年齢問わず楽しくわいわいと過ごすことができていました。
それがここ一年ぐらいでしょうか、年齢性別都道府県はともかく、それ以上のプライバシーの公開、鬱々とした書き込みの連続、条例程度ですが違反行為の躊躇ない公言…など目を覆うような言葉があふれるようになっています。
そのくせ、2ちゃんねるにプライバシーや違反行為が公開されたり、鬱々とした書き込みの連続をとがめられたりすると、まるで被害者のように怒りをあらわにするのです。
確かに彼らは被害者でしょうが、正直自分で播いた種ではないか…と思わずにはいられません。かわいそう、だとは思えなくなってきているのが正直なところです。
10代までならばそういう過ちを犯すこともあり、大人が導かなければならない(といえば大げさですが)こともあるでしょう。でも彼らの大半は、既に成人しているのです。
冷静で、穏やかに、当初と変わらない人たちも多くいます。私もそれを装う一人です。
ところがそういう人たちは口数も少ないですし、争いごとを好むわけではないので、黙認という状態となり、やはりその場は荒れていく一方です。
誰がみているのかもわからない全てに公開されたインターネット。
さして親しくない人とまで気軽に繋がることができるtwitter。
そして日本人である私たちは、気に食わないからといって容易く繋がりを消すことはできないのが欠点だと言われています。
それならばそれらしく、気持ち穏やかに、わきまえて、そして楽しく過ごすことはできないものなのでしょうか。
懐古しているだけといわれるかもしれません、それが低年齢層へと広がっていくインターネットの時代の流れというものなのかもしれません、
でも私は、彼らのそんな行動を、ずっととても悲しい気持ちで眺めているのです。